ひとりで仕事をしているといざというときの備えは欠かせません。
実は今朝2019年8月31日まで入院88日間入院していました。
まさにいざというときが来たわけです。
この入院を経てやっておいてよかったことをまとめてみました。
ひとりでいざというときどうするか
独立後、雇われない雇わない生き方、ひとりで仕事しているとメリットもありますが、デメリットもあります。
それはひとりしかいないこと。
いざというとき、自分の代わりはいませんし、仕事をこなすことはできませんし、収入が途絶えてしまいます。
その「いざというとき」の可能性が低いとはいえ、何かしら想定して準備しておかなければいけません。
それなりに自分なりに備えていたつもりです。。
そのいざというときがきてしまいました。
トライアスロンバイク(自転車)に乗っていただき後ろから車が衝突し、右の大腿頚部を骨折してしまったのです。
見通しのよいまっすぐの道であり信号が変わってゆっくりと進んでいたときでした。
重々気をつけていたつもりではありますけども、後ろからだとどうしようもありません。
その原因は定かではありませんが、骨が折れたのは事実であり、事故後手術し、88日間入院したのも事実です。
多くの「たられば」を考えましたが、 いざというときが来てしまった以上できることをするしかありませんでした。
88日間の入院生活日記
88日間の入院生活はこんな感じでした。
第1章 事故→手術→入院
〇1日目 6/5(水)
事故日。
右後ろから、強烈な衝撃があり、車にすられながらバランスを崩し、右側に倒れました。
こちらは信号が青になって進み始めたので、時速10㎞も出ていなかったかと。
見落とすほど細くはないと思うのですが……。
赤いのが自転車の私、黒いのが車。
真後ろからの衝突ではなく、斜めから当たった感じです。
イメージはこんな感じです。
車の左前方またサイドミラーが、私の右の太もも後ろに当たったと思われます。
サイドミラー下から後方へ傷がついていたので、自転車のハンドル部分が擦ったようでした。
その後、このように右側に倒れたのです。
大腿骨頚部がこのときに折れたのかどうかわかりません。
倒れた位置は、路肩(砂利)のすぐそばでしたので、私が走っていた場所は路肩ギリギリです。
事故後、倒れたときは、「(6/23の)徳之島トライアスロン、出れるかな」と考えていましたが、実際はそれどころではなく、思った以上に痛く、動けませんでした。
でかい骨が折れていたわけですから。
右太ももを地面に打ち付ける形で倒れました。
右ひじも結構すりむいていましたが、そのときは気づかず。
それ以外に打ったところはありません。
頭を打たなくて幸いでした。
路上に倒れたので、邪魔になってはいけないと、なんとか立って、周りの方の手を借りながら電柱へ。
電柱に片足でつかまったまま、痛みで動けませんでした。
車の方はすぐに降りてきて、病院に連れてってくれるような感じでしたが、車を路肩ではなくそのまま停めていたので、逆に私が気になって「車移動してきていただければ」と。
通りがかった方が、「こういうときは救急車呼ばなきゃ!」と車を降りて救急車を呼んでくれました。
ここで教訓。
路上に倒れたとはいえ、自分で動いちゃいけなかったなと。
また、こういうときは救急車呼ぶべきでしょうね。やむくもに病院を回っていたら手遅れになる可能性も。
救急車、警察がきて、電柱につかまって立ったままの私をストレッチャー(ベッドのようなもの)にあてて、運んでくれました。
激痛でしたが。
トライアスロンバイク、リュック、サングラス、ヘルメットが気になりつつ、バイク以外は救急車へ。
バイクのことを聞くと、「うちで預かっておくよ」とおまわりさん。
「だ、大丈夫ですか?」と、防犯上大丈夫なのか、それなりに高いんですけど……という意味で聞いたら、「(派出所に)寝泊まりしてるから大丈夫」と。
不安でしたが、しかたなく救急車へ。
初・救急車です。
救急車の中から病院を探してくれました。
1件目は断られ・・・2件目に。
「15分くらいですから」と出発しました。
スマホを手にその病院を調べると……Googleの評価1.9……。
そこじゃないところにお願いしたかったのですが。
(結果的には、外来の評価が悪かったようで。入院中の看護師さん、ケアワーカーさんにはよくしていただきました。その評価だよなという部分もありましたが)
準備しつつ、「1か月くらい入院でしょうね」と。
「1か月!」とびっくりし、そんなわけないよな、病院に行ったら、「安静にしとけば大丈夫ですよ」くらいで帰れると思っていました。
病院に行くまで困ったのが振動。
救急車、めちゃくちゃ揺れます。
揺れるたびに激痛です。
病院に着き、病院内へ。
病院のベッド(移動式)にうつるときも激痛。
レントゲンを撮り、その結果を待ちます。
レントゲン室に段差があり、そこでも激痛。
今考えると、なぜ段差が……。
家族に連絡するように言われましたが、できれば治療程度で帰ろうと思っていました。
ただ、レントゲンを撮ってみるとやはり重症。
手術ということでした。
骨折というとギブスで固めるというイメージですが、そうではなく、右太もものを切ってそこからピンを入れる手術です。
折れた骨のズレを修正してピンでとめます。
大腿骨頚部骨折という症状で、治療法としては、ピンを入れて固定し自然治癒を目指す方法と、人口の骨(人工骨頭)にする方法があります。
人工骨頭だと、すぐにでも歩けるようになりますが、脱臼のリスクがあり、20年くらいしか持ちません。
今46歳なので、66歳、86歳で手術をしなければいけなくなります。
もっと高齢であれば、安静にしていたり思うように動けなかったりした場合、認知症の恐れもあるので、人工骨頭を選ぶそうです。
結合を目指すと、歩けるまで最低1か月から3か月かかるとのこと。
そのかわりうまくいけば、元通り歩き、走ることができます。
一方で、骨の結合がうまくいかなければ、骨董壊死となり、結局人工骨頭になることも。
そうならないためにも、できるだけ早い手術が必要と言うことでした。
家族に連絡するように言われ、連絡をとりました。
手術→入院となるので、娘(2歳)を連れて、泊りの準備をしてきて欲しいと。
その病院は、自宅から片道2時間のところ。
来なくて済むならそうしたかったのですが、手術となるとそうもいかないとのことでした。
申し訳ない気持ちながら、連絡してきてもらうことに。
ただ、一刻を争う中、妻と娘の到着を待っていては、遅くなってしまうので、到着前に手術となりました。
手術となるとリスクがあるわけで(万が一のことも)、その説明を受けつつ、大丈夫だよなと思いつつも、しかたありません。
全身麻酔ではなく、呼吸を確保するために部分麻酔のみ。
意識はもうろうとしますが、手術中の様子もわかりました。
麻酔をうつと、骨の痛みはなく、落ち着き、手術は2時間弱で終了。
4本のピンで固定しています。
病室に戻って、家族と再会できました。
点滴で痛み止めを入れていたので痛みもなく。
自宅から遠すぎるので、手術後すぐの転院(自宅近くの病院へ移る)の話もされ、当然希望しました。
初日は、妻に、ひとまず、iPadProとメガネ、ビーサンを持ってきてもらっています。
すぐ転院するのでひとまず。
iPadProは、SIMが入っていてテザリングも使えるからです。
スマホでもテザリングが使え、ネットができましたが、両方あったほうが好ましいので。
メガネは、コンタクトよりも手軽だったので。
ビーサンは、そのときにバイクシューズを履いていたので、歩くのに必要かと。
ただ、結局は、2週間絶対安静でしたが。
事故当時、リュックにノートパソコン(VAIO SX14)、USB-Cケーブル、モバイルバッテリーは入れていました。
当日は、途中まで電車で行き(自転車は解体して袋に入れて)、そこからリュックに背負っていたのです。
その駅のロッカーに入れようかとも思っていましたが、結果的に入れてなくて助かりました。
なお、その駅経由で行ったのははじめてです。
その日は、そのまま病室に泊まることができ、一緒に過ごせました。
保険が気になったので、友人に連絡。
…‥この反応…。まあ、そんなに一大事とは思わないでしょうし。
自分の保険(自転車保険 au損保)にも連絡。
手術、入院手当金は出ることを確認。
トライアスロンバイクを運んでくれるサービスがあり、それも依頼しました。
事故現場近くの派出所に取りに行っていただけ、自宅まで運んでくれます。
60㎞までは無料。
自宅まで70㎞だったので、超過料金を払って運んでもらえました。
教訓として
・路上で自転車乗るなら自転車保険には入っておくべし
ひとまず1日目終了です。
第2章 絶対安静期間から転院
〇2日目 6/6(木)
病院から妻と娘が帰り、入院生活がはじまります。
点滴や注射(血栓ができるのを防ぐ)の日々です。
血栓予防の注射は、朝晩2回をおなかに。
これが痛くて……。
結果的に2週間、14日、28回注射しています。
手術後、血栓(血流が滞る)ができると、大きなトラブル(肺や心臓に影響)になるので、そのケアが目的でした。
その目的で、両足に包帯を巻いています。
リハビリも軽くはじまりました。
足をぐーぱーと動かしたりする程度からです。
毎日配信しているメルマガ(8時半)に配信で、困ったのが、今日の予定コーナーとセミナー告知。
メルマガ冒頭に、「今日は〇〇をします」という予定を書いているコーナーがあります。
「今日は病院。痛み止めの点滴をしつつ……」とは書けません。
心配をかけるような内容は書かないことにしているので。
結果的に88日間の入院生活が終わった今日から、今日の予定コーナーは復活、セミナーは8月に復活しています(9月開催分)。
瞬時に判断し、今日の予定コーナーをなくし、セミナー告知も取り下げました(ブログ上からも)。
その時点で、6/6ブログセミナー、6/12マクロセミナー、6/26音声認識入力セミナー、6/27RPAセミナー、のお申し込みをいただいており、中止及び返金の手続きを随時進めることになります。
(6/6分は6/5に連絡済み)
さらには7/31だったら大丈夫かなと告知し、お申し込みいただきましたが、のちに中止することになっています。
個別コンサルティングのお客様、税務顧問のお客様にも、随時連絡をしていきました。
(個別コンサルティングは、7/10以降にZOOMならばという告知に変更)
プライベートの予定では、トライアスロンのレースが、徳之島(6/23)、宮崎(7/6)、秋田(7/20)と3レース。
航空券は、診断書を送れば全額返ってきました。
ホテルはそもそもキャンセルできます。
レースの参加費は、原則戻ってきませんが、秋田(7/20)は先の予定だったこともあり戻ってきました。
その他、整体、トライアスロンバイクの配送、RPAイベントのキャンセルを連絡しています。
病院の食事も始まり、意外とおいしく、嫌いなものもきいてくださいました。
最初にお願いしたのは延長コードでした。
電源命ですので。
痛み止めで痛みはありませんが、動けません。
事故の影響、メンタルてきなものもあり、無事なはずの左も動かず。
そういえば、トイレ……と思い出しましたが、トイレには行きたくありません。
麻酔が効いていて気づかなかったのですが、管が入っており、そこから出るようになっていました。
こういうのも初体験です。
毎日書くブログもこの日は書きました。
スキル系の記事です。
困ったのは、編集後記(日記部分)と娘日記。
ここにも書くわけにはいきません。
なんとか入院最終日の昨日の記事までは書くことができました。
「とある」とか多いのですが。
弁護士の友人にも相談し、以後損害賠償の手続きをやっています。
〇3日目 6/7(金)
妻が来てくれました。
自宅から2時間の病院、すぐにでも転院するつもりでしたが、話は進みません。
主治医とも話せず(そういうものなのかもしれませんが)。
ベッドから動けず、可動式のベッドも大腿部を刺激しないために、45度までとの制限がありました。
45度だとパソコンも打ちにくいんです。
水も飲みにくく、ストローで飲んでいました。
歯を磨くにも、洗面所に行けないので、おけ(容器)と水をもらってそれですすぎます。
水も随時入れてはくれましたが、部屋の水道だったので、気分的に飲めず。
ミネラルウォーターを買ってきてもらっていました。
45度だと、ご飯も何が入っているかぱっと見わかりません。
手を伸ばして取ってからわかるという感じで。
気になったのは、ナースコール。
呼んでいいと言われても、呼びにくく、何度も「呼んでくださいね」と。
人を雇っていないと、そもそも頼み下手で、こういうときにも影響がありました。
困ってきたのは、トイレ(大)。
小は管でいいとして、大は……と聞いてみると、ベッド上に容器を入れてもらいということでした。
抵抗はありますがしかたありません。
こういういろいろがあり、メンタル面でも徐々に弱ってはいました。
体を動かすこともできず、背中がかゆくなったり、痛くなったり。
よくきく「床ずれ」です。
右脚は、角度をちょっと変えると痛いので、ナースコールで夜中に呼んで角度を変えていただかなければいけません。
痛み止めを飲んだことも。
当然眠れず、ほとんどの場合目が覚めてしました。
21時消灯で眠くはなるのですが。
もともと早寝早起きなので、病院の21時消灯は平気でした。
空調調整も自分でできず、またこの病院が個室なのに空調のコントロールができず、寒すぎたり暑すぎたり。
そんな中、すぐに転院し、自宅近くに行き、家族がひんぱんにきてくれることが望みでした。
〇4日目 6/8(土)
待ちに待った土曜日。
妻と娘が来てくれます。
2時間かけて……。
ほんと申し訳ないです。
病室に泊まるのはできない(手術日のみの特例)だったので、ホテルをとろうとしましたが、妻の友人宅に泊まれるとのことで、助かりました。
このとき、自宅にあるモノを持ってきてもらっています。
Switch
マイク(音声認識入力で必要なので)とUSBミニケーブル
電動はぶらし、ひげそり、耳かき、コンタクト、爪切り
ヘッドフォン
リコー ハンディプリンター
急速充電器、ケーブル
アップルウォッチ ケーブル
ハンディ扇風機
コンセントケーブル
ヘッドフォン
仕事やらプライベートやら。
この日の夜、トライアスロンチーム「ポセイ丼」のメンバー全員に告知しました。
(Facebookグループで)
ブログの更新は、ちょっとつらくて、スマホで音声認識入力。
気分を変えると書けるものです。
〇5日目 6/9(日)
泊めていただいた妻の友人もお見舞いに来てくれました。
転院の動きはいまだ見えず、翌日月曜日に主治医と話ができることに。
妻と娘が帰り、平日には基本的にくることができません。
事故から数日のこの辺りが、先も見えず動けず最もつらい時期でした。
この写真、帰るところで、何で撮ったんだろうな…‥と不思議です。
他にも写真は撮っていたのですが。
メルマガ、ブログもやばいと感じていた時です。
メルマガでは話してしまうか、メルマガは中断するかと考えることもありました。
逆にブログを早く終わらせると、メンタルが落ちてしまうので、夕方書き上げるようにしていたことも。
手術後、おむつだったのですが、これが蒸れて大変でした。
相談したところ、大き目のトランクスに変えてもいいだろうということで、妻に買ってきてもらっています。
もちろん自分では履けず、2人、3人がかりで、右脚を持ち上げてそのすきにトランクスを通してという感じです。
パジャマの着替え、シーツの交換も大変で、寝返りもできませんので。
体はふいてもらえるのですが、風呂にも入れません。
もともと筋肉があって太い脚なので、「はれてるのかな、もともとですかね」とか、「筋肉がすごいから気を付けて持ってね」と看護師さん同士が話してたり。
いろいろといじられてましたが、それも癒しでした。
女性の看護師さんで、「すごい筋肉ね、EXILE?ちょっと見ていい?」と腹筋を見ていった方も……。
〇6日目 6/10(月)
主治医と話せる日。
午前中とのことで待ち望んでいましたが、他の方に聞くと、今日中に来るとのこと。
以降、情報の錯綜にずっと苦しめられました。
転院先は自分で探すのか、紹介してもらえるのかを聞くと、自分で探したほうがいいとのこと。
伝手も含めて探し始めました。
入院施設がある整形外科です。
夕方、主治医と話せました。
あとでわかったのですが、外来もやっており、その外来の時にしか病院に来ないとのこと。
手術の日はたまたま外来の日でした。
ようやく面談。
手術はうまくいっているけど、やっぱり転院はおすすめしないとのこと。
今後を考えると安静にしておいたほうがいい、少なくとも2週間は絶対安静との話でした。
転院できるというつもりだったので、かなり落胆。
しかも2か月は右脚に体重をかけないほうがいいと。
確かに将来のことを考えると、この2か月を我慢したほうがいいというのはわかりますが、今も大事です。
家族と会えないのはつらい、せめて近くに転院できればと思っていたのですが。
このころ、事故を思い出し、つらく、戦う系の漫画(ドラゴンボール、キン肉マン)やゲームはやりたくありませんでした。
そこで、マリオやヨッシーなど、ほんわかする系のゲームを購入。
自宅に届け、妻に持ってきてもらうことにしていました。
〇7日目 6/11(火)
先が見えてから連絡しようと思っていた、両親、妹2人に連絡しました。
実は……って感じで。
下の妹は、看護師です。
ちょうど整形外科に勤めていて、「なんでもっと早く相談しないの!」と。
いろいろ聞いてみると、急性期と回復期と病院が分かれていて、今回のケースは急性期で手術をし、その後回復期リハビリテーション病院に行ったほうがいいと。
急性期だとリハビリは1日40分(実際そうでした)、回復期だと1日3時間という情報もありました。
妹の勤める病院(自宅から1時間ちょっと)も含めて転院先を回復期リハビリテーション病院に定めて探し出します。
急性期から急性期の転院は難しく(自分のところで手術していない患者を見たくない)、急性期から回復期のほうが、可能性は高いだろうとのことです。
医療はほんと情報だなと。
希望が少し見えてきました。
そして、同日、税理士がらみの友人が来てくれました。
当時は、結構どんよりへこんでいたそうです……。
妻のお母さんが来てくださり、ちょっとほっとした時期でもあります。
〇8日目 6/12(水)
長期化しそうなので、テザリングでは心もとなく、Wi-Fiルーターをレンタル。
使い放題で、月5,000円ほど。
カレンダーを見ては、「本当はマクロセミナーの日だった」と考えるのがつらい時期でした。
妻が来てくれた日です。
ApplePencil、鼻毛カッター、マリオオデッセイ、ブログネタ用に娘の粘土の一部、ひげそり充電などを依頼。
しばらく帰れそうにないし、来てくださっているお母さんが使ったほうがいいと思い、自分の鍵を渡しました。
これもなんだかつらい出来事でした。
警察の方もきて事情徴収。
〇9日目 6/13(木)
トライアスロンのチームメイトでもある、ザックがお見舞いに来てくれました。
新刊を持ってきてくれたのです。
うれしい反面、いろいろつらい時期で、帰るときに握手を。
〇10日目 6/14(金)
妻、妻のお母さん、相手の保険会社の方が来て、手続きや今後の方向性を。
担当の方はよさそうなかたでしたが、補償されるまではなんともいえません。
その後、トライアスロンのチームメイト、羅王とねえさんも。
転院の相談、後押しもしてくれました。
PS VITA、3DS、Androidタブレット、GoogleNestHubなど持ってきてもらいました。
ゲームをやる元気が出てきて、レトロゲームを買い集めることも。
結局このときに買った、スーパーロボット大戦シリーズ(第2次Z、第3次Z)にはまり、今は第3次の途中です。
GoogleNestHubでGoogleフォトの写真を表示できるようにしたのですが、娘の写真や、自分が歩いている・立っている・走っている写真が出てくると、このころはつらく、使うのを一時やめました。
そして、装具。
聖闘士星矢の聖衣(クロス)のように、期待していました。
主治医の話だと、これがあれば転院、退院もできると。
患部を固定し、動かないようにするためのものです。
しかし、この写真のように、太ももとふくらはぎについていて、患部の大腿部を守っている気がしません。
何の意味が…?という意見も。
結果的にこれは、あちら側の間違いだったようです。
ひどい話ですわ……。
〇12日目 6/15(土)
妻と娘が来た日。
往復は大変だから、ホテルを予約して泊まってもらいました。
つかの間の楽しみ。
〇13日目 6/16(日)
引き続き、妻と娘の日。
近くの本屋で娘が動かずなかなか来れませんでしたが。
下の妹家族も来てくれ、転院の作戦を練ります。
〇14日目 6/17(月)
夜にカメムシが出たり、体がかゆくて眠れなかった日。
主治医との面談の予定でした。
転院の計画や交渉内容を詰め、待ちに待っていました。
妻も同席したほうがいいと、無理をしてきていたのですが、やはり面談にいつ来てくれるかはわかりません。
妻に残ってもらうことも考えましたが、やむをえず帰ってもらうことに。
結果的にこれが正解でした。
15時頃、事務の方がきて、主治医は今日体調不良で休みだから面談キャンセルね!と……。
もしそうならもっと早く言ってくれれば。
これで、普段怒らない私も怒りました。
次の面談の可能性があるのは水曜日。
待ちに待っていたのにもう待てません。
現場の方(看護師長)や事務の方に話し、転院の話をまず事務面からすすめてくれないかと。
主治医の判断は必要なのですが、可能性だけでも探ってくれないといつまでたっても話は進みません。
この病院は、主治医=その病院の最高責任者が普段おらず、かといって現場に権限を与えていないのです。
まあ、どこもそうかもしれませんが。
結果、転院先の候補3つに打診してくれることになりました。
(病院から打診しないと受け入れてくれません)
主治医にも許可をとってくれて、紹介状も書いてくれることに。
面談キャンセルになったことで話が進みました。
妻には、週刊少年ジャンプを依頼。
キン肉マンの読み切りがあったからです。
ひさびさのジャンプでした。
〇15日目 6/18(火)
怒ったからか、夜に熱っぽく、電気毛布で暖かくして寝て風邪薬を飲んで寝たらなんとか回復しました。
怒りはよくありません。
転院の打診は、夕方にしてくれたそうですが、1つの病院だけ。
そもそも最初は、転院先を複数挙げてくれれば全部打診すると言ってくれていたのですが、この前日に事務の方が「3つに絞ってくれ(大変だから)」と。
それで3つに絞ったのに、1つにしか出してません。
…‥怒りました。
また熱出そうでしたが。
日中に、トライアスロンのチームメイト、えぇ。。さんと上の妹夫婦が来てくれました。
この病院は食べ物持ち込みができなかったので、ウィダーインゼリー系を買ってきてもらっています。
〇16日目 6/19(水)
イベント盛りだくさんの日。
まずは、抜糸。
切ったところをホッチキスでとめていて、それを抜きました。
抜くところは怖くて見れませんし、傷も見ていません。
(傷をはじめてみたのは7月中旬でした)
理事長と面談し、転院のこと、その後もなるだけ安静にし、手術後8週間は、右脚に体重をかけないようにとのこと。
まあ、いろいろありましたが、心配してくださってのことでした。
レントゲンを撮り、転院には問題ないだろうと。
そして、手術後、45度までだったベッドの角度の制限もなくなり、起き上がって、片足でも立ってみました。
寝たきりだったのでくらくらしましたが、一歩前進です。
前進しそうでしてなかったのは転院の打診。
朝確認したらまだ出してないとのこと。
「1つずつ打診して返事来たら次に出します」と依頼内容と食い違っていたので、3つすべて出していただくように念押し。
昼確認したらまだ、夕方にようやく出してくれました。
そのうちの1つからOKの連絡が来て、妻にすぐ折り返してもらい、面談の日程を調整。
病院から打診→患者または家族が面談→入院許可という流れです。
〇17日目 6/20(木)
絶対安静でなくなったので、車いすにちょっと乗り、松葉杖をちょっとやりました。
注文したデジカメ、GRⅢが到着。
歩けないのに買いたくなったデジカメです。
転院するときの移動手段で、介護タクシーを手配。
この手配も自分でやってくださいとのことでした。
都内までで4万円ほど。
先方の保険会社が払ってくださいました。
その他、手術費、入院費もひとまずは払ってくださっています。
〇18日目 6/21(金)
手術後、はじめて個室のトイレに行きました。
自分でトイレに行けるのが感激です。
リハビリ室でリハビリしたり、シャンプー台でシャンプーしてもらったり。
転院の候補の2つへ、妻に面談に行ってもらい、転院が決定。
翌日土曜日に転院できることとなりました。
夜は、ひとり税理士仲間に、入院のことを公開しています。
最後の日に記念写真。
第3章 転院して体重をかけるまで
〇19日目 6/22(土)
いよいよ転院。
妻が迎えにきてくれることになっていましたが、こういうときに人身事故。
なんとか間に合いました。
歩けないので荷物もなんとか。
出発直前に、例の装具を間違っていたので回収したいと。
結局は、太もも・ふくらはぎをつぎはぎして、腰・太ももにつくりかえてくれましたが。
この装具、次の病院でも問題で、意味があるのか、こんなの見たことないという扱いでした。
介護タクシーにストレッチャー(ベッド)で乗り、9時頃出発、都内まで1時間40分ほど。
事故から19日目、都内に帰ってきました。
次の病院は、自宅から40分ほど。
自宅から2時間でしたから、かなり短縮です。
妻のお父さん・お母さんも来てくださっていた時期で、ちょうどこのタイミングで転院できました。
部屋も広くて快適です。
「窓から墓が見えますけどいいですか?」と聞かれましたが、転院できるならそんなこと気にしません。
早速リハビリを1時間。
食事は少なめかつたんぱくです。
コーヒー、水、お茶が自由に飲めたり、食料の持ち込みをOKしていただいたり。
Wi-Fiルーターも貸してくれましたが、速度が遅すぎて、結局自分のを使いました。
前の病院(急性期)では、ベッドがメインでしたが、ここ(回復期)では、ベッドではなく車いすメインです。
その辺の考え方から違います。
事故後はじめて、車いすながらも、娘を抱っこ。
リフレッシュして、いい状況で来たと思っていたのですが、このときの脚の状態はよくありませんでした。
絶対安静にしていたことから、かちんこちんになっていて、どこからどうすればいいかわからない状況だったそうです。
PT(理学療法士)の方によると、「丸太が来た」と。
別の方によると、この病院に来たときの私の脚の固さは、この車いすの肘置きくらいだったそうです。
しかも、術後8週間、7/31までは、右脚に体重をかけてはいけないとの前の病院からの指示。
何をどうすれば……という状況だったみたいです。
回復期リハビリテーション病院は、動かしてなんぼですので。
〇20日目 6/23(日)
妻、娘、お父さん・お母さんに来てもらった日。
片道2時間のところでなくて本当によかったです。
夜は、友人がお見舞いに。
この日からリハビリが3時間はじまります。
60分×3または、40分×3+60分です。
それぞれPT(理学療法士)の方が変わり、いろんな方が担当します。
スケジュールは、前日夜に発表されるのですが、事前にこの時間は空けて欲しいと言えば空けてくれました。
できれば、午前中は仕事をしたかったのですが、そこまでは望まず、面談や打ち合わせ、個別コンサルティングのときは空けていただいています。
回復期リハビリテーション病院は症状別に最大入院可能日数が決まっており、私の場合は、90日でした。
この日からだと、最大で9/19です。
ずいぶん先ですが、先が見えたことをうれしく思いました。
この病院だと、このようにリハビリの予定も明かしてくれますし。
前だと、急にきて、さあリハビリですという感じでした。
一応、入院中も仕事していたので、困って交渉しましたが。
〇21日目 6/24(月)
この病院では、月水金が風呂です。
風呂用の車いすに乗り換えて入り、なんと、座って浴槽に浸かることも。
昇降式の椅子で風呂に入れました。
21日ぶりの風呂、感激です。
レントゲン、血液検査や自立度チェックという、車いすで自由に動いていいかのチェックなどがありました。
夜は個別コンサルティングをSkypeで実施。
事故前にご依頼いただいていた件です。
〇22日目 6/25(火)
ドクターの回診がある予定が、急遽なしに。
今後の計画を決める大事な回診だったのですが。
ここでもやっぱりという感じでした。
下の妹や友人がお見舞いに。
ASUSのモバイルディスプレイを仕入れました。
〇23日目 6/26(水)
弁護士、友人、妻がお見舞いに。
以前は、お見舞いが重なると「もったいない」と思っていましたが。
延期になった回診(診察)。
右脚に体重をかけない期間が、手術後8週間というのは長すぎるという意見もありましたが、回診では、前病院の指示を守ろうと。
リスクをとらないだろうと予想はしていましたが、少しでも早く退院したい私としては落胆でした。
手術後6週間までは、他動禁止(他の人がストレッチしてはいけない)という指示も出ています。
この日が6/26、他動OKが7/17、右脚への体重を1/4かけるのが7/31ということです。
それまではケア(マッサージ中心)で、もともとかたい体をほぐしたり、手術の傷跡が骨とくっつくのをはがしたりするのがメインでした。
3時間マッサージ!いいね!と言われたりしていましたが……。
考え方によっては、せめて他動OKになるまで急性期の病院にいるという選択もあったのですが、自宅から遠いこと、急性期だとリハビリが40分なので、右脚の硬直がさらにひどくなった可能性が高いです。
退院した今も、右脚付け根やひざが痛み、右脚の筋肉が戻っていないのは、安静期間や他動禁止期間が長かった影響なのですが、安静にしていたおかげで、人工の骨にするのを免れたとも考えられるので、なんともいえません。
〇24日目 6/27(木)
トライアスロンのチームメイトのメンバー4人が一度のお見舞いに。
松葉杖を使ってみましたが、右脚が硬直しているし、へたくそなので以後封印されました。
新刊の原稿をメールで受け取り、iPadProでチェック開始。
〇25日目 6/28(金)
友人がお見舞いに。
全体をほぐすのがメイン。
Amazonで食料を頼んだりも。
部屋には冷蔵庫とポットしかないので、めったに食べない、インスタント麺やスープを注文していました。
間食も多くなり、特に早朝4時に起きて食事、8時に病院の朝食、そして、運動不足も組み合わさって、この病院に来たときは77㎏(事故時78㎏)だったのが、退院時には83㎏に……。
〇26日目 6/29(土)
妻と娘、友人夫妻がお見舞いに。
〇27日目 6/30(日)
上の妹、下の妹、妻と娘がお見舞いに。
ソニーのスピーカー、LSPX SXを仕入。
スタンドにもなり、癒されます。
電気スタンドを使用開始。
手元が明るく。
ダイソンの空気清浄機も使い始めました。
〇28日目 7/1(月)
ゴルフボールで足裏のケア
PT(理学療法士)さんで、むむむ…‥という方が。どうしようと悩むことに。
右脚、左脚付け根が痛い。
〇29日目 7/2(火)
友人がお見舞いに。
車いすを微調整。
左ふくらはぎ、右付け根が痛い。
このころは日替わりでどっかが痛い状況でした。
〇30日目 7/3(水)
採血
〇31日目 7/4(木)
入院後、はじめて途中目が覚めず、4時まで眠れました。
友人のお見舞い。
〇32日目 7/5(金)
仕事関係の方のお見舞い。今は直接仕事をしていないのにありがたいです。
超音波をあてる施術開始。骨の結合を促す。
〇33日目 7/6(土)
妻と娘、仕事関係の方のお見舞い。
外出に備えて、乗車、車いすの訓練。
外出は事前届け出制、外泊は月に6泊とのこと。
ただし、右脚に体重をかけられない状態、つまり7/31まで外泊は難しいとのことでした。
〇34日目 7/7(日)
病院でお祭りがあり、娘も楽しみました。
左脚が痛い
〇35日目 7/8(月)
骨盤の調整。激痛。
〇36日目 7/9(火)
妻と娘、羅王、ねえさんのお見舞い。
おいしいお土産を羅王がほとんど食べてしまいました。
珍しく体の調子がよく、どこも痛くない日。
はじめてのことです。
ハードディスク Macを持ってきてもらう
〇37日目 7/10(水)
トライアスロンチームメイトのお見舞い
ZOOMで個別コンサルティング実施。
〇38日目 7/11(木)
対面で個別コンサルティング実施。
友人のお見舞い。
〇39日目 7/12(金)
傷回りが痛む。
食堂で仕事。
ルーター返却。別のルーターをレンタル。
〇40日目 7/13(土)
タクシーアプリで初の外出。
初の外出に選んだのは美容院。
行きつけの美容院にお願いして、タクシーで往復しました。
右脚をつけない状態で。
階段があり、苦戦しましたが。
こんな感じで切ってもらいました。パーマも。
この記事の写真の下半分は、車いすでした。
「この業界だからしかたない」を捨てよう。1か月休む美容院もある。 | EX-IT
PSVITAが壊れたので修理に。
仕事中、部屋に入ってきてしまうことに悩み、相談後、面会中の札を部屋の入り口に掲げることに。
まあ、病院なのでしかたないといえばしかたないのですが。
このころから個別コンサルティングを病室(個室)でやるようになったことも理由です。
〇41日目 7/14(日)
この日の外出は自宅へ。
車いすを使ってタクシーで5000円でした。
41日ぶりの帰宅です。
車いすで入って、リビングでキャプテンマーベルを見たり。
マンションの構造上、バリアフリーっぽいのですが、トイレは段差があり、小さい椅子を使ってなんとか使えました。
ショックだったのは、部屋がきれいだったこと。
やはり私が散らかしているので。。。反省します。
台所は特にきれいでした。
私が料理しないと汚れないようです。
〇42日目 7/15(月)
この日も外出
車いすかつ電車で自宅へ行きました。
かなり疲れ果てましたが。
ベビーカー同様肩身が狭いですし、エレベーターがない・あいてないことも。
この日は、映画も観てみました。
スパイダーマン ファーフロムホームを。
最前列で疲れましたが。
キャッシュバックキャンペーンのためにつくったイオンカードがタイミングよく届きました。
本人限定郵便だったので運がよかったです。
〇43日目 7/16(火)
レントゲン。
初の外出後、あちこちが痛くなりました。
無駄に力が入るのでしょう。
おはじきやビー玉を足でつかむ練習も。
〇44日目 7/17(水)
回診。そのままのペースで行くことに。
宮崎から両親が来てくれました。
体調が悪くなかなか来れなかったのですが、なんとか。
〇45日目 7/18(木)
他動開始。
動かしてもらうとさらに痛いです。
動かないから、動かしてないから痛いのですが。
いとこのお見舞い。
『新版 ひとり社長の経理の基本』の重版の連絡をいただきました。
修正点がないかチェックして連絡。
いいタイミングでありがたいです。
〇46日目 7/19(金)
タクシーで下の妹宅へ。
外出のルールとしては1人ではダメで誰か付き添いが必要です。
〇47日目 7/20(土)
家族に休んでもらいました。
まあ、私が落ち着いてきたというのもありますが。
それまでは、土日と平日のどこか1日会いたいと頼んでいました。
〇48日目 7/21(日)
妻と娘、妹家族、両親のお見舞い。
松葉杖の練習再開。
〇49日目 7/22(月)
調子がよくて痛くない日。
〇50日目 7/23(火)
右脚の後ろが痛い
個別コンサルティング実施。
〇51日目 7/24(水)
妻と娘と、タクシーで品川アクアパークへ。
車いすで結構苦戦しましたが。
スーパーで買い物して帰りました。
〇52日目 7/25(木)
個別コンサルティング実施。
〇53日目 7/26(金)
ザックのお見舞い。
筋トレ。
ファイアーエムブレム発売日で仕入。
エヴァンゲリオン熱が発生し、ブルーレイのエヴァンゲリオンQを仕入。
新しいシェーバーを仕入。
〇54日目 7/27(土)
妻と娘、妻の友人のお見舞い。
台風が来ていて、お見舞いに来れないかも……というピンチでしたがなんとか。
〇55日目 7/28(日)
妻と娘。
娘の熱が少し出てこれないかも…‥と。
無事下がりましたが。
88日間で娘が体調を壊したのはこの日だけでした。
外泊の計画をたてはじめます。
ルールとしては月に6泊。
8月にどう使うか考えものです。
松葉杖を外で練習。
〇56日目 7/29(月)
松葉杖で 段差10㎝ 20㎝、坂のぼりのくだりを練習。
友人のお見舞い。
YouTubeライブセミナーの練習、テスト。
〇57日目 7/30(火)
個別コンサルティング実施。
外で歩行訓練
第4章 体重1/4から退院まで
〇58日目 7/31(水)
入院中書いていた本の原稿を2つとも提出しました。
回診後、右脚に1/4の体重をかけ始めます。
私の場合、当時80㎏だったので、1/4は20㎏。
体重計で感覚をつかみます。
恐る恐るでしたが骨の痛みはなし。
うまくいけば、8月中の退院も見えてきました。
ようやくリハビリっぽく。
〇59日目 8/1(木)
右脚をつきながらの松葉杖の練習。
朝5時から、メルマガ読者向けにYouTubeライブセミナーを開催。
サプライズで入院していることも明かしています。
起きれるかドキドキで、入院生活88日間で唯一目覚まし時計をかけた日でした。
〇60日目 8/2(金)
途中までタクシーで行き、その後電車で帰宅。
初の外泊です。
保育園へ娘を迎えに行くと、いるはずのないパパがいて、きょとんと。
自宅では風呂にも入れました。
右脚にちょっと体重をかけられると自由度が違います。
この日から、最も信頼するPTさんが夏休み。
困る反面、休みをちゃんととって楽しんでくれることは、うれしいことです。
〇61日目 8/3(土)
外泊2日目。
妻と娘と一緒に、メットライフドームのももクロのライブへ。
事故前に申し込み、事故後に当選。
行けるかどうかわからなかったのですが、なんとか。
そのかわり、アンコール前に退散しました。
〇62日目 8/4(日)
外泊終了で戻らなければいけない日です。
恵比寿 ガーデン自由が丘(スーパー)へ家族で行きました。
〇63日目 8/5(月)
依頼のあった取材を受けました。
病院のラウンジにて。
フリーランスの働き方について。
病院内を松葉杖で歩けるようになりました。
〇64日目 8/6(火)
体重をかけたあと、膝の表裏が痛くなっています。
〇65日目 8/7(水)
個別コンサルティング実施。
妻と娘のお見舞い、3人で夕食。
〇66日目 8/8(木)
PTさん復帰
レントゲンを撮って、翌日回診してもらい少しでも早く次のステップにうつる計画をたてました。
体重を早くかつ、多くかけたほうが治りも早いのです。
(体重をかけるリスクもあるので慎重さも大事ですが)
〇67日目 8/9(金)
タクシーで顧問のお客様先へ。
ようやくめどがつき、うかがうことができました。
松葉杖でしたが、なんとか。
盆休み前だからか混んでいて、その帰りは電車でした。
はじめての松葉杖での電車で鵜。
その後、回診。
交渉して、8/14から体重を1/2(40㎏)、8/21から2/3(54㎏)、8/28から100%(80㎏)にすることに。
これにより、8/28に100%、8/29にレントゲン、8/30に回診でOKが出れば、8/31に退院という線が見えてきました。
交渉というのも変な話なのですが、骨のくっつき具合はレントゲンでわからないらしく、痛みが出なかったらOKという感じです。
回診で、先生は、「キリよく9/1から100%にしましょう」とおっしゃいましたが、「キリは特に必要ないので、最速でお願いします」と話しました。
その結果、短縮できたのです。
もし、そのままだったら、今日(8/31)も病院でした。
〇68日目 8/10(土)
上の妹達と恵比寿に行き、そのまま自宅へ。
外泊3回目です。
松葉杖を使うことが多くなり、脚はもちろん、手も痛くなっていました……。
〇69日目 8/11(日)
外泊4回目。
近所で楽しみました。
暑かったのですが、なんとか。
ダイバーシティに、ガンダム40周年記念ブックを買いに。
汗だくになりながら。
フードコートに行ったのですが、車いすでは注文出来ても、取りに行けないジレンマに……。
〇70日目 8/12(月)
30㎏の体重をかけはじめ、骨の痛みはありませんでした。
妻と娘と恵比寿アトレのMUJIに行き、絵本を見に。
スパイダーマン スパイダーバースをAppleTVで。
〇71日目 8/13(火)
トライアスロンチームのお見舞い
右脚30㎏で松葉杖の練習。
手が痛いので松葉杖を短くして調整してみました。
結局、今日(8/31)でも手は多少痛いままです。
ま、そのうちとれるでしょうが。
〇72日目 8/14(水)
羅王、熊のお見舞い。
大きい2人がくると狭いです。
とはいえ私も増量中で彼らに近づいてますが…‥。
妻が来てくれたので、外出。
近くのスタバへ。
ひさしぶりのスタバです。
体重を1/2、40㎏をかけ始めました。
骨の痛みはありません。
〇73日目 8/15(木)
熊夫婦と友人のお見舞い
個別コンサルティング実施。
〇74日目 8/16(金)
外泊5回目。
タクシーで六本木のホテルへ行き宿泊。
妻の誕生日を祝って。
松葉杖で買い物に行き、結構疲弊しました。
右手に血豆も。。。
ホテルのプールへ行き、歩いたり泳いだり。
〇75日目 8/17(土)
ホテル付近を散歩した後、自宅へ。
外泊6日目。
ルールの外泊数を使い切りました。
なんで8泊じゃないんだろうと。
〇76日目 8/18(日)
午前中は自宅からしまじろうコンサートへ。
病院へ戻って外泊後のケア中心に。
〇77日目 8/19(月)
退院日が8/31で確定しました。
一方で、両手、右肩、両足、腰が痛く、歩かず休息。
お金の使い方入門セミナー収録
〇78日目 8/20(火)
引き続き、あちこち痛みます。
スクワットの練習中に、太ももをぐきっと(患部ではなく筋肉)。
その後は、安静にしていました。
勉強法入門セミナー 収録
〇78日目 8/21(水)
個別コンサルティング実施。
松葉杖ではなく、杖を試してみましたが、いまいちでやめることに。
片手での松葉杖を練習。
〇79日目 8/22(木)
左肩が激痛でケア中心に。
新宿高島屋へタクシーで行き、その後帰宅。
ご飯を食べてから病院へ戻りました。
もう外泊を使い切ってたので。
〇80日目 8/23(金)
歩こうとするも雨。
休息の日でした。
〇81日目 8/24(土)
妻と娘とサンシャイン水族館へ。
その後病院へ。
〇82日目 8/25(日)
友人のお見舞い。
その後、車で自宅へ送ってもらい、自宅で過ごしてから病院へ戻りました。
片手松葉杖も慣れてきて、娘と手をつないで歩くことができ感激。
82日ぶりです。
〇83日目 8/26(月)
上の妹たちと新宿へ。
退院が近くなり、慣れてきたこともあり、練習も兼ねて日々外出しました。
〇84日目 8/27(火)
友人のお見舞い。
原宿付近へ外出。
ブックオフオンラインの集荷。入院中に読んだ紙の本を売却。
〇85日目 8/28(水)
妻と娘のお見舞い。
お待ちかねの100%でしたが、右足付け根が痛く、左足裏痛く。
骨(患部)は問題ありません。
夜は、チームポセイ丼と焼肉。
サラダバーは、脚を引きずりながらもなんとか歩いていけました。
〇86日目 8/29(木)
友人のお見舞い、外出してヒカリエ→自宅へ。
退院へ向けて荷物を持って帰りました。
〇87日目 8/30(金)
代々木公園を散歩訓練。
最後のリハビリでした。
この日は外出せずおとなしく。
9時半に、Nintendo Switch Liteを予約。
リハビリ中でしたが、理学療法士さんにお願いして……。
結果、予約はそれほど殺到せず、今でも買える感じです。
〇88日目 8/31(土)
ついに退院。
タクシーで帰りました。
荷物が多くなりすぎましたけど。
自宅近くで妻と娘と会い、88日ぶりに娘をだっこ。
100%になった時点でだっこできたのですが、なぜかだっこさせてくれず。
そしてこの後もだっこさせてくれません。
帰ってきたときだけ。
気を使ったくれたのでしょうが。
終わってみれば……というわけではなく、結構しんどかったし、つらい日々でした。
事故のことを話すと、「命があってよかった」と言ってもらえ、「そうだよな、そう考えないとな」とも。
はじきとばされて頭を打って神経を損傷したり、股関節を粉砕骨折したり、手や鎖骨、肋骨などを折ったりした可能性もありました。
もちろん、事故で人生が終わっていた可能性も。
とはいえ、「命があってよかった」「無事でよかった」と本当に思えるにはもうちょっと時間がかかります。
最大9月19日までだったのを19日間短縮できたのは、よかったかなと。
アベンジャーズエンドゲーム(9月3日発売)の送り先を病院から自宅へ切り替えました。
今後の懸念事項は
・83 kg の体重を減らす、よしんばもっとスリムに
・右脚の付け根の痛みをリハビリしていく(リハビリにも通います)
・右脚をひきずって歩かないようにする(筋肉がなく、くせもついているので、脚をひきずって歩きます。念のため松葉杖を1本準備。そのほうが楽なので。)
・ピンを抜くことも含めて経過観察
・娘との関係修復。お風呂とか二人で出かけるとか抵抗ある感じです、まだまだ。
・損害賠償請求
といったところです。
レースへの復帰は、2019年12月の地元宮崎の青島太平洋マラソン10㎞の部へ申し込んでいます。
10㎞ならなんとかなるかと。
入院中の6/20に申し込みました。
回復の望みをかけて。
東京マラソンも申し込んでおり、3/1なのでなんとかなるかなと。
速さも取り戻せるかどうかわかりませんが。
聖火ランナーも申し込み済みです。
こちらは、200mなので。
トライアスロンは、2020年の7月、地元宮崎のシーガイアトライアスロン(スイム1.5㎞、バイク40㎞、ラン10㎞)を目指します。
長いの(スイム3.8m、バイク180㎞、ラン42.195㎞)に復帰するのはだいぶ先でしょうね。
いざというときに備えてやっておいてよかったこと
事故・入院で学んだこと、得たことを今後、このブログでも書いていきます。
(今日解禁しました)
今回はいざというときに備えて行っといてよかったということをまとめてみました。
貯蓄
この期間、治療費や入院費はひとまず先方の保険会社が立て替えてくれているので、大きな支出はありませんでした。
心のスキマを埋めるために買ったゲームソフトが山ほどありますが。
ただ売上は大幅に減りました。
セミナーができなかったことが主な要因です。
私の仮説では、セミナーをやっているからこそ活きるメニューもありますので、セミナーをやらないことで他の売上にも影響はあります。
そもそもセミナーをやりましょう。やるんだったら毎月やりましょうと言っていて、6,7,8月はセミナーをやっていなかったのが心苦しいものでした。
こういった状況の中で、とりあえず手持ちのお金があったというのは幸いでした。
積極的に貯蓄をしているわけではなく、売上と経費、入金と支払いを管理して、いざというときのためのお金を多少なりとも確保しているつもりです。
今回の3か月間で お金は目減りしましたけど、家賃を払えないというような状況にまではなってはいません。
もちろん十分余裕があるわけではありませんが、いざというときの文字通り蓄えがあってよかったと思っております。
貯蓄するというより、お金を管理しておくというのは、やはり大事です。
そのための経理ですし、そのための節税だったり経費のチェックだったりします。
売上の分散
常日頃から、複数の仕事をやってはいます。
もちろん何もしなくても売上になるものではありませんが、複数の仕事をすること、売上の柱が複数あることはリスクヘッジになるうるものです。
今回入院期間88日の6、7、8月の売上はゼロではありませんでした。
動画音声の販売もしていますし、ブログからの収入もありますし、幸い本が重版になって印税も入りました。
7月からはズームや対面での個別コンサルティングも始めています。
ご依頼いただいた皆様本当にありがとうございました。
やっていた仕事も出版の仕事がメインで、本を2冊書いています。
1冊は、9月11日、もう1冊は12月に出る予定です。
音声セミナーも2本収録しましたし、 無料で YouTube のセミナーもやりました。
もうちょっとやりたいこともあったのですが、本2冊書くのは、それなりに精一杯です。
なんだかんだ1日3時間のリハビリがあると時間は厳しめでした。
反省点としてセミナーの売上割合が多くなっていたことがあります。
だからといって Web セミナーを増やす、セミナーをやらないというわけではありませんが、なにかしら考えなければと。
売上の分散はリスクヘッジにもなりますし相乗効果にもなりますので、ぜひともおすすめします 。
病室でパソコンを使ってできる仕事もイメージしておきましょう。
(病院によってはやりにくいでしょうが)
もう1つの反省点は、請負の仕事が少ないこと。
請け負ってやる仕事は、病室でもできます。
私はほとんどありませんでした。
RPA開発の仕事は請け負いましたが。
ある意味、出版も請負の仕事です。
たとえば、レシートを預かって入力する仕事はできました。
(やりとりやレシートの保管・機密性の確保をどうするかの問題はありますが)
まあ、スタンスの違いもあるので、それはそれ、これはこれですが。
今回は無事でしたが、もし手をけがしていたら……ということも考える必要があります。
まさかのときが、本当に来る可能性はありますので、想定はしておきましょう。
そのきっかけにこの記事がなれば幸いです。
習慣
いざというとき、体のダメージはもちろん心のダメージも非常に大きいものです。
家族と会えないのも本当に つらいものでした。
起きてしまったことはしょうがない・起きてしまったことはしょうがない・起きてしまったことはしょうがないと自分に言い聞かせてきた次第です。
そういうメンタルが弱っているときに助けられたのは習慣でした。
毎日やると決めていることをやっていれば、気が紛れますし心の糧になります。
この88日間も、習慣は欠かしませんでした。
・タスク管理
・ファイルの整理
・Evernote メモの整理
・やらないことをみる
・経理
・掃除
・メルマガ
・ブログ
・読書
・1日1新(毎日新しいことをやる)
思いついたことは必ずメモするという習慣は入院中も役に立っています。
やることや調べることというのはそれなりにありますので。
読書は、ほとんど Kindle でやりました。
8月になってからは紙の本も注文するようになりましたけど。
一応、今までと同じように1日1冊のペースで読むことができました。
毎日新しいことをやる1日1新も、限られた中でなんとか。
まあ、日々新しいことはやまほどありましたが。
いざというときこそ、習慣が役立つというよりも、いざというときは習慣、つまり日頃やっていることしかできないともいえます 。
ただ・・・やらないことリストに、
・骨折しない
・交通事故にあわない
というのはありました。
防げなかったかもしれないとはいえ、猛反省です。
今回、家族、友人、お客様、トライアスロンチーム「ポセイ丼」、ひとり税理士のメンバー、そして病院の皆様には、支えていただき本当に感謝しています。
そして、このブログという習慣を続けられたのも常日頃読んでいただいている皆様のおかげです。
この場をお借りしてお礼申し上げます 。
■編集後記
昨日は最後のリハビリ。
雨が上がったので、代々木公園まで歩き、1周してきました。
ランの練習に来たことがある代々木公園。
こんな形で来るとは……。
代々木公園内を歩行訓練
■娘(2歳)日記
LINEビデオ通話で、自分の顔にキャラクターや眼鏡を載せるのがお気に入りで、最も気に入っているのは、リスです。
口を動かすと、むしゃむしゃ食べる効果がつきます。
口を開けると人間型のキャラがにょろりと出てくるのもお気に入りです。
■著書
『税理士のためのプログラミング -ChatGPTで知識ゼロから始める本-』
『すべてをがんばりすぎなくてもいい!顧問先の満足度を高める税理士業務の見極め方』
ひとり税理士のギモンに答える128問128答
【インボイス対応版】ひとり社長の経理の基本
「繁忙期」でもやりたいことを諦めない! 税理士のための業務効率化マニュアル
ひとり税理士の自宅仕事術
リモート経理完全マニュアル――小さな会社にお金を残す87のノウハウ
ひとり税理士のセーフティネットとリスクマネジメント
税理士のためのRPA入門~一歩踏み出せば変えられる!業務効率化の方法~
やってはいけないExcel――「やってはいけない」がわかると「Excelの正解」がわかる
AI時代のひとり税理士
新版 そのまま使える 経理&会計のためのExcel入門
フリーランスとひとり社長のための 経理をエクセルでトコトン楽にする本
新版 ひとり社長の経理の基本
『ひとり税理士の仕事術』
『フリーランスのための一生仕事に困らない本』
【監修】十人十色の「ひとり税理士」という生き方