ちょっと前から、AIが書いた、ちゃちゃっと書いたというような本も増えてきているような気もします。
読む側としてはどうすべきかということについて書いてみました。

※「あ、それはAIが書いた本だから……」ということになるかどうか by Nikon Zf+14-24mmF2.8

 

AIが書いた?

日々、本を読んでいる中で、「これって本当にこの方が思っていることかな」というようなときはあります。
具体性がないというか、軽いというか、実体験がないというか。
魂がこもってないというようなものです。

もちろんそういった書き方というのもあります。
というよりも、ほわっとした感じで書いたほうがいいという考え方もあるでしょう。

昔からこういったことはあり、最近ではAIでちゃちゃっと書いているなあという本も多いものです。
せっかく買った本がそういうものだったらどうするか、そういった本に引っかかってしまったらどうするか。

これは、しかたないと割り切りましょう。
読んでみないとわからないものですから。
いずれにしても本とは、適度な距離を取りたいものです。

AIが書いたか人が書いたか、その区別は難しいものです。
そこにこだわりすぎないようにしましょう。

人は書いた本のほうがためになるというわけではありません。

人が書いた本のほうがためになる?

AIでちゃちゃっと書いたから本、人が一生懸命長時間かけて書いた本、どちらの価値が高いか。
これだけは判断できず、本の内容によります。
後者の人が書いたほうが、必ずしもためになるというわけではありません。

「AIが書いている」と「人が書いている」こと自体に差はないからと。
価値には変わりませんから。
手書きで書いたものとパソコンで書いたものと、前者の価値があるというわけではありません。
それと同じようなことです。

ただ、書いたのがAIでも人でも
・距離を取る
・自分で確かめる=行動する
というのは大事かと。

そもそも本を読んだだけでは人生は変わらないのですから。
深く考えすぎず、長く読まず、多くの本に目を通しておくぐらいがちょうどいいんではないかなと。

本を読んだだけでは、人生は変わらない

私は本を多読しています。
さまざまな本に触れ、刺激を得るためです。
もちろん、長く読む本もあります。
すべてをそうしないということです。

本に書いてあることで、自分の刺激になったものは行動に移しています。
行動で人生は変わるからです。

あ、これおもしろそうだなと思ったらより深く調べてみますし、やってみますし、そうじゃなかったら、それを逆の意味から単なる批判にせずにアウトプットすることもあります。
どっちに転んでも本は役に立つわけです。
AIであろうと人であろうと、刺激には変わりはありません。

本を読んだときの刺激を自分の行動に活かすようにしましょう。
AIでちゃちゃっと書いた本で心が動いたら(人がちゃちゃっと書いた本も含めて)、それはそれでいいのではないでしょうか。
そこで心が動くのがいいかどうかというのはまた別の話です……。

これからAIでちゃちゃっと書いた本がさらに増えていくでしょう。
(本だけではなく、ネット上の情報も)

そうなったとしても我々としてはやることは同じ、何を得てどう動くかです。

 



■編集後記
昨日は、タスク実行デーかつ、娘の夏休みスタート。
毎年恒例のプールへ終日。

1日1新Kindle『1日1新』
ロマンスカー利用でよみうりランドプール
スマホ防水ケース(よみうりランド)
劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel] II.lost butterfly

■娘(8歳)日記→Kindle『娘日記』・ Kindle『娘日記Ⅱ』
夏休みがはじまり、一緒によみうりランドプールへ。
年々こんできているような……。
バケツプール、流れるプール、通常のプールでクロール特訓、波のプール、そして、アンパンマンプールでも楽しみました。
「さすがに……」といいつつアンパンマンプールも。
風が強くポップアップテントと格闘しつつ、あきらめたのが正解でした。