「違い」と「間違い」は紙一重

独立後は何かしら違いを出す必要があります。
その「違い」は、ひょっとすると「間違い」かもしれません。

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※イチョウ並木にて Leica Q

値段以外の「違い」

独立後に出す「違い」として、最もかんたんでわかりやすいのは値段です。
値段を安くすればそれは違いになりますし、仕事につながるでしょう。
ただ何でもかんでも安くすればいいわけでもありませんし、安くするということは、数を増やさなければいけません。
その数を増やすことができないのであれば、安くすることはできず、値段以外の違いを出さなければいけないということになります。

同じような人、同じような仕事と、何かしら値段以外の「違い」を出さないといけません。
しかしながら、その「違い」は見方によっては、間違いである可能性があります。

 

「違い」と「間違い」

たとえばこの神宮外苑前のイチョウ並木で、この曲っている木は、普通に考えば「間違い」でしょう。


まっすぐ伸びて、他と同じように並び、景観を損なわないことを求められるものです。

私はこの曲がっている木が好きで、いいなあと思って思わず写真を撮りました。
私にとっては、その「違い」が好きで気に入ったのです。
自分もこんな感じで曲がっていますし、同じにおいを感じましたし、友達になれそうで。

一方では「間違い」、一方では「違い」になるということは、独立後にも多いものです。
独立前は特に、同じように伸びて景観を損なわないということが求められます。
独立後は自由なはずですが、ついつい周りを見て、
「じゃあ自分もまっすぐにしなきゃ」とか「目立たないようにしなきゃ」とか考えがちです。
私も独立当初はその呪縛に苦しみました。

「そうはいってもこれはまずいだろう」とか。
「周りから何かいわれたら嫌だな」とか。
「他とそろえておいたほうが無難だろう」とか
思っていたわけです。

それでは違いがつくれません。
値段でしか違いをつくることができず、安く多くの流れに飲み込まれてしまいます。

間違いになるリスクもありますが、そのリスクを恐れていては、違いをつくれないということです。

じゃあその「違い」は本当に「間違い」なのかどうか。

お客様と自分の正解を見つける

お客様と自分にとって正解であれば、間違いではありません。

周りの人がどんなに間違ってるといっても、お客様がその違いを認めてくだされば成り立つわけです。
逆にお客様がどんなに求めていて正解であると感じていても、自分がしっくりいかず間違いだと思っていたらやはり成り立ちません。

自分が提供するもの、そして自分自身が「違い」になるのか「間違い」になるのかというのは、お客様に判断していただくもので、周りの同じようなことをやっている人=同業から判断されるものではありません。

私が人を雇わないというのも、周りから見ると間違いと思われる可能性がありますし、ブログを書くというのも大間違いと思われることが多いです。
そんなことに時間を費やすなと。

自分で経理をすることを勧めるのも、見方によっては間違いでしょう。
そんなことやらないで、丸投げすればいいと。
ただ私にとっては丸投げするも間違いですし、丸受けするのも間違いですので、やっていないだけです。
(やっていることを否定するわけではなく、私自身がやらないだけです)

お客様や自分ではなく、周りとの整合性や業界、大先輩、大御所を気にしすぎていると、結果的に自分にとってもお客様にとっても間違いになってしまう可能性はあります。

そうならないように、「間違い」と思われることを恐れず、「違い」をつくり打ち出していきましょう。

 

・間違っている!
・そんなんじゃ成功しない
・こうしなきゃだめだ
と言われても、「そうですね」と流しましょう。
私はそうしてきましたし、逆にそう言わないようにしています。
(こういうやり方、考え方もありますよーくらいの気持ちです。この記事も含めて。)

 

 



■編集後記

昨日は、朝から宮崎へ。
8月に手術した父も車を運転して、空港に迎えに来てくれました。
体重もちょっと戻った感じです。

 

「1日1新」

宮崎 明正堂書店

■娘(2歳)日記

宮崎に着き、ディズニープリンセスのお菓子や塗り絵をもらって大喜びでした。
絵本を買いに行き選んだのは、「クリスマスのおばけ」。
おばけはやはり好きなようで。