独立は、トーナメント戦→リーグ戦という競技

独立後はどんな競技(戦い)か。
勝ち上がり式のトーナメント戦と総当たりのリーグ戦が続くものと考えています。

※ドッジボールという戦い by Sony α7SⅢ+70-200mmF2.8Ⅱ

独立前・独立当初にやっておきたいこと

先日、メルマガ税理士進化論読者限定で、『税理士が独立決定から独立前にやっておきたいこと』『税理士が独立後1年で7社』というセミナーを開催しました。
どちらも多くの方のご参加いただいております。
独立前、独立当初というのは、注目度が高く、私も何かお手伝いできればと思っているところです。

『税理士が独立後1年で7社』はネタも兼ねて。
まあ、少ないですからね。
通常、30社、50社、100社!って感じですから。
ただ、この7社にあえて抑えたので、今の私があります。

こういったセミナーを開催し、質問をいただく中、独立当初はやはり厳しい戦いだなと改めて感じました。
かんたん、誰にでもできるというつもりはありません。
私にとっても難しいものでしたから。

かといって、じゃあ、独立当初だけ勝ち抜けば、耐え抜けばいいのか。
その後は楽になるのか、イージゲームなのかというとそうではありません。

競技が変わるだけです。
独立当初はトーナメント戦、その後はリーグ戦と。

独立当初はトーナメント戦

独立当初は、食べていけるか、いけないかの瀬戸際での競技。
負けたら終わりのトーナメント戦です。

何が何でも勝ち抜かなければいけません。
ここで、「もし食べていけなかったら、バイトでもすればいいし、雇われに戻ればいい」とは考えないようにしましょう。
甘いかと。

むしろ、バイトしたくないし、雇われに戻りたくないという背水の陣で臨みましょう。

かといって、ズルはしてはいけません。
ズルとは、一般的なズルと、自分をあざむくズル。
しない、したくないと決めたことは極力しないようにしましょう。
それが軸になります。

この軸は、そうそうかんたんにつくることができるものでもありません。
独立後何年たっても見つからないことも。
私も4年かかりました。
中長期的に磨いていきましょう。

軸をつくってから独立なんてできませんから。

そして、「食べていける」ようになってからも競技は続きます。
引退しない限り。

独立して数年以降はリーグ戦

独立して食べていけるようになるのは、それぞれ。
半年、1年の場合もあれば、3年、4年、5年ということも。

おおむね3年です。

食べていけるようになった(おおむね)状態で、トーナメント戦は終わります。
その後はリーグ戦。
総当りで延々と続く戦いです。

トーナメント戦、食べていけるようになったら終わりというわけではありません。
仮にそう考えていると、腕は落ち、営業力は落ち、結果食べていけなくなるでしょう。
そこまではいかなくとも、時間がない、望む仕事、望むお客様ではない、という悶々とした状態が続きます。
こうなってしまう理由は、リーグ戦をしっかり戦っていないからです。

営業や勉強は、トーナメント戦である独立当初だけすればいいわけではありませんから。

もちろん、がっつり稼いで戦いから降りることができている方もいらっしゃいます。
ただ、一握りですし、運も絡んでくるものです。
がっつり稼いでいないうちに戦いから降りないようにしましょう。

私もそうです。
なぜ、独立後16年たって、新しいことをし、ブログを毎日書いているのか。
リーグ戦を戦っているからです。

リーグ戦は長く、負けも引き分けも許されます。
トータルで上位にいればいいわけですから。
負けや引き分けが許されるということは挑戦できるということ。

食べていけるようになったら、戦い方を変えましょう。
トーナメント戦のように、どんな仕事でも受けなきゃいけないわけではありません。
ときには、トーナメント戦でできたしがらみをいったん手放すことも必要です。

そして、戦い方は変えつつもトーナメント戦の勝つか負けるかのハングリーさを忘れないようにしましょう。
正確には、「ハングリーさを思い出しましょう」です。

トーナメント戦で生き残ったことに自信を持つことも大事に。



■編集後記
昨日は、引き続き母がいたので、娘と3人で近くへ。
トイザらス、ニトリ、たこ焼きミュージアムと。
2人ともたこ焼きが好きです。

午後は妹が迎えに来てくれ、見送り。
娘と2人だったので、自宅で仕事をしていました。

1日1新Kindle『1日1新』
たこ焼き 芋蛸、赤鬼

■娘(6歳)日記→Kindle『娘日記』・ Kindle『娘日記Ⅱ』
ばぁばとすみっコぐらしのホイップるクリームを探しに行きましたが、在庫がなく……。
ネットで頼みました。
その後、買い物、たこ焼き。
最近は赤鬼というところが気に入っています。
それまでは、会津屋だったのですが。
ばぁばを見送った後は、ひさしぶりに公園へ。
他の遊びもあるし、学童も普段はあるので、ひさしぶりでした。